菜の花 リュックのベルトが肩に食いこんでいる。
ミモザは歩きながら額の汗をぬぐうと、体を揺すって肩の荷を抱えなおした。
(あっつー……まだ着かないのかしら)
ミモザは木に触れながら進み、遠く前方を眺めた。葉の合間から降ってくる光が、眼鏡を白くかすめる。
この林に入ってから、もうどのくらい歩いただろう。
3時間……4時間か。時計を持たない主義なので正確なところはわからない。もしかしたら大分多く見積もっているかもしれない。
フィールドワークが得意なミモザにとって、普段なら数時間歩き続けることなど平気なはずである。
だが、最初は平らだったこの道なき道は、途中から少しずつ傾いていき、今になってはかなりの傾斜がついていた。前かがみになって歩く、というよりは上りつづけて、流石に足も疲れたというものである。
一歩一歩高く持ち上がっては、草の合間に露出した土を踏みしめるつま先を見つめながら、ミモザは大声をだした。
「ギブソーン……あたっ」
つまづいた。バランスをくずし、慌てて手近な木につかまって体を支える。
ミモザは憮然とした表情で犯人の木の根を睨みつけてから、振り向いた。
「生きてる?」
下のほうで背を丸めて歩いていた青年が顔を上げた。頭にかぶっている日よけのフードからこぼれた金髪が、歩みにあわせて揺れている。
ギブソンは近くの幹に手をついて立ち止まり、呼吸を整えると、最後の三歩を登って、ようやくミモザの横に並んだ。
「追いついた……君はつくづく、歩くのが速いね」
「体力が取り柄だもの」
ひらひらと手を振ってみせると、ギブソンは眩しげに目を細めた。かなわないな、とため息まじりで苦笑する。
「でも流石に疲れたわあ。休みましょうか。それともここじゃ足場が悪いから、もうちょっと上行く?」
「いや、一息つこう。木につかまって休むよ。私が落ちたら骨を拾ってくれ」
既に草の上に腰を下ろしていたギブソンは、友の肩を抱くように近くの木の幹に腕をまわして、うなだれた。
ミモザも足元に大きい石の存在を確かめてから、後ろに手をついて座った。
顔を上向かせると、浮かんでいた汗が風に乾かされていく。
歩いている時には煩わしかった陽の光や緑の匂いも、休んでいる時は心地よい。こうした疲れのあとの安息は何ものにも代えがたい。これだけで、今まで歩いてきた甲斐はあるように思える。
「あー……なんだか」
「なんだか?」
木に額をつけたままギブソンが瞳を向けてくる。
「楽しいわ。すっごく」
木漏れ日に手をかざして目を細める。
「落ちるぞ、ミモザ」
「大丈夫よ。落ちたら拾って。―――何ていうかさ。こうやって何かを探して歩きまわって、へとへとに疲れた状態って、しんどいけど最高だって思うのよね」
「君らしい言葉だね。私には言うことはできないよ」
あら、とミモザはギブソンを振りかえる。
「貴方だってそうでしょ。欲しい情報探して一日中書斎で本をめくってるのって、どんなに目や肩が疲れても楽しいって思わない?」
「ああ、そういう話か……。そうだな、歩くのは別として、好きな研究をするのは楽しいよ。自分の推測が本当に真理に向かっているのか確かめる作業は、学者の本懐だからね」
「そうそう。本読んで、実験して、集めて探して議論をたたかわせてさ―――」
腕組みして微笑む。
「基本的に楽しいわよね。でもって、その答え合わせの作業にこうして付きあってくれる相棒がいて、自分の出した解答が正解だったりしたら、もう言うことなしよ」
片目をつむって言うと、ギブソンは一瞬照れたような表情をしたが、すぐに不敵な顔をつくって声を低めた。
「果たして、君の答えは正解かな?」
「勿論」
ミモザは胸をはる。
「今回は悪いけど、賭けは私の勝ちよ。例の未発見遺跡はこの先にある。このミモザさまの集めた資料や証言が、みんな口をそろえて『ここで間違いない』って言ってるのよ。
大昔、ロレイラルから流れてきた一握りの民は、長い道のりの末にこの林の奥に行き着いて城を築いた……坂をのぼりきった先には、彼らの遺したメタルが苔むして、パーッと広がっている、という訳でねえ」
「いやいや、証拠というものは認定と解釈が重要だよ。そして私の解釈では、宝の在り処はここではない。
とは思うけれど、まあ、今日は君に付き合うと約束したからね。黙ってついていくよ」
折角ここまで苦労してきたことだし、と続けるギブソンに、ミモザは満面に笑みを浮かべた。
「そうそう」
腰をあげ、手でお尻をはらう。立って立って、と手で示すミモザに、ギブソンは微笑みを落胆に変えた。
「さあて行くわよ。メイトルパ召喚師が、ロレイラル学会に一大センセーショナルを巻き起こしてやるわ」
*
ふたりは目の前の光景に、呆然と立ち尽くしていた。
「これは……」
ぽかんと口を開けるミモザの横で、同じように呆けていたギブソンは、一言つぶやいたきり顔をうつむかせた。少しずつ肩が震えてきたかと思うと、最後に爆発した。
「ふふ、は、ははは……ああ、は、ミモザ。残念だったね」
気を落とすな、と言いつつ肩に手をおいた相方の、歯をのぞかせた晴れやかな笑みを見て、ミモザはがっくりとうなだれた。
「う、埋まってしまったか……」
「往生際が悪いぞ」
「ぬぬ……あーあ、何よこれ!」
吼えるミモザの前には、一面黄色の花畑が広がっていた。
ざあ、と一斉に風になびいて、透明な風が通り過ぎた跡を示す。
それは間違っても、未知なる機械遺跡の成れの果て、には見えなかった。
「ああ、やられた。専門外に首突っ込むな、ってことかしら。今度エルジンに会ったら大笑いされるわ」
花畑を眺め下ろす場所に腰をおろしたミモザは、生えていた一輪をぷつりと摘みながらぼやいた。
某眼鏡の後輩には秘密にしておこうと心に決める。先輩としてのなけなしの威厳を、やたらに損ないたくはないのだ。
隣には、やけににこにこしたギブソンが、たてた両膝のうえに腕を組んで座っている。さっきまでのへこたれようはどこへ行ったのやら、ご機嫌な顔だ。ミモザはじと目でにらむ。
「嬉しそうねえ、おにいさん」
「いいや? きれいな花畑だと思ってね」
「に、にくたらしい……ひとりで来ればよかった」
花を握ったまま、膝を抱えて唸るようにつぶやく。
背中からまた、はは、と爽やかな笑いが聞こえた。やはりにくたらしい。
存在をほのめかす数多くの資料を残しながら、決して発見されることのなかった神秘の機械遺跡。
いったい何処に存在するのか?
学者達の間では、ある時は激しく、ある時は細々と、意見が交わされてきた。
大陸西部にあるに違いない―――いや、旧王国領の東に―――違う、海の中だ―――。
議論は繰り返され、多くの人間が森へ山へ探しに出かけたが、ついに位置が特定されることはなかった。
だが、現在。
遺跡が最初に注目を浴びてから実に100年の時が経ち、誰もが半ば諦めていたところに、隕石のように唐突に、聖王国北東部にその位置を強く暗示する新しい資料がでてきたのだ。
ロレイラル学会に衝撃が走った。
勿論、聖王国に拠点をおく派閥の召喚師たちも色めき立ち、遺跡の話題はひとつの流行になった。
ロレイラル以外の術を専攻する召喚師のなかにも、この騒ぎに興味をもった者はおり、ミモザやギブソンもその仲間だった。資料をこっそり集めては、にわか知識で、お茶の時間に遊びのような議論をたたかわせた。
「それじゃギブソン、賭けましょう。私は地図の、この地点。林の中ね」
「私は大峡谷。元・旧王国との国境。それ以上の絞り込みはできないが……大体ミモザ、人の足で制約なく行ける場所にあったら、とっくに発見されているんじゃないか?」
「わっかんないわよー。今まで探してた人たちがウッカリ見逃してたかもしれないでしょ」
「うっかり、ね。まあいいだろう。何を賭ける?」
「欲しいもの何でも。ただし、給料で買える範囲内」
「ふたりとも外れてたら」
「ドロー」
「遺跡が埋まっていて、私たちが探したときに見つからなかったら」
「ドロー。後になって、どこぞのお金持ちが掘り返してから遺跡がでてきたとしても、賭けは無効。ただし、自慢は大いにして良いこととする」
「わかった。まずは君の方から、今度の休日でどうだい」
「うん、早い方がいいわね。そうしましょう」
真面目な顔をしてする遊びのようなものだ。
同僚が見たら、誰もが笑うだろう。無謀だ、お前たちに見つけられっこないさ、と。
だがふたりは別にかまいやしなかった。答えを見つけることよりも、探す作業が心地よい。
とはいえ、正解を得ることも、正直いうとちょっとは夢見ていた。
ミモザは手にもった黄色い花を鼻先でくるくる回しながらため息をついた。これで少なくとも、ミモザの勝ちはなくなった。あとはどこかの誰かが、ここを掘って遺跡を探しあててくれることを祈るのみである。
(うーん、でもこの花畑がつぶされるのは、すこし勿体ないかもしれない)
金色の野原のよう……というのはいささか大げさだが、黄色い花が一面に咲き乱れる様は美しい。
メイトルパ召喚師だから、という訳でもないが、ミモザは植物や動物が大好きだ。
それも、部屋の片隅に生けられた一輪の薔薇よりは、雑草やら何やらが入り混じった野性的な眺めを好ましく思う人間である。
一本だけ見るとぱっとしない花が、群れなしてダイナミックな光景を織り成しているこの花畑は、中々にミモザの心をくすぐった。
ミモザは両膝についた頬杖のうえに顔を乗せながら、花畑に見入っていたが、ふと思いついたように顔をあげた。
「ねえ、ギブソン」
「うん?」
「こういうのはどうかしら。この花畑は、やっぱり機械遺跡の成れの果てなのよ」
ギブソンは怪訝な顔をしたが、すぐに得心した表情になって、「拝聴しよう」と言った。
ミモザはいかめしい顔をつくり、手に持った花を指示棒に見立てて空中でくるりとまわした。
「ええー……サプレス、シルターン、メイトルパにロレイラル、そしてリィンバウム。この世の5つの世界に存在するすべての物は、元をたどればひとつの『エルゴ』から生まれたものだと言われています」
「伝説によるとね」
「それが本当なら私も貴方も、元々は間違いなく同じもので―――」
花の指示棒をギブソンの前にさしだす。
鼻のそばに突きつけられて、彼の目は真ん中に寄った。
「この花も、機械遺跡も、やっぱり同じ『万物の素スープ』からにょきにょきと生まれたもの、ということになる訳よ。そこで、」
「読めた」
「早い!」
ミモザは憤慨した。
「いや、すまない。続けてくれ」
花弁と同じ色をした瞳がかすかに笑って、ミモザを見上げている。
「言いなさいよ。性格悪いわね」
「失敗したなあ……うーん、あれだろう? 元が同じものだから機械が花に変身したっておかしくない、という話かい。要約してしまうと」
「……」
返事の代わりに、ミモザは花を相手の眉間につきたてた。要約してしまうと、この手の話は元も子もないのだ。
「はは、鋼鉄の槍だ。―――すまない、怒らないでくれ。ふざけすぎた。では質問しようミモザ。それならばどうして、他のあらゆる物はうつろわないんだ? 私が誕生から今に至るまで人であり続ける、その訳を聞かせてくれ」
機嫌をとろうとしているのか、何とか話を膨らませる相手に、ミモザはふて腐れた表情のままなかばやけくそで答えた。
「何かストッパーでもついてるのよ。お前はニンゲン、お前はニンゲン……ってささやいてる何かがね」
ギブソンは苦笑する。
「そのストッパーをはずしたらどうなるんだい」
「うーん、溶ける?」
「どろどろに?」
「そ。そして、他の指令をだしてストッパーをかけると―――」
「私は天使に変身するかも知れない、という訳か」
悪魔の間違いでしょ、とすかさずツッコミをいれる。それを聞いてギブソンは、ハハ、と爽やかに笑った。やっぱり悪魔だ。
「で、そのストッパーは、どうやったらかけ外しができるんだ。やはりエルゴの力だろうか」
ミモザは腕組みをした。こうなったら理屈でなく、自分の気に入りそうな答えを探す。
見つかった。
胸をはって、きっぱり言い放つ。
「根性よ。本人の」
「う、うむ。根性、か」
真面目な表情でギブソンは頷いた。しかし口元がムズムズしている。
ミモザは相手のそんな顔を目を細めて睨みながら、今の話をギブソン・ジラールの名を騙って派閥の勉強会に提出したらどうなるだろうか、と少し考えた。流石に縁を切られるだろうか。
「……証拠はあるわよ?」
花を口元にあてながら、澄ました顔をしてミモザは言った。
「ほう?」
片眉をあげるギブソンに、ミモザは花をさしだす。
「この花をね、ちょっとかじってみなさいよ」
「おいおいミモザ」
両手を前にだして困ったような顔をするギブソンの目の前で、ミモザはまず、自分の口にぱくりと入れた。先のほうを少しだけ茎ごと噛みちぎって、飲みこむ。
「……食べたのかい」
にっこり笑うと、まじまじと自分を見つめるギブソンに花をさしだした。
「ほら」
訝しげに花とミモザの顔とで視線を往復させていたギブソンは、おそるおそる花を口に含んで、噛んだ。
途端、口元に手をやって顔をしかめる。何事か唸りながら、それをぺっと吐きだした。
「―――不味、」
「あはは。古代ロレイラル文明の味がするでしょ」
「最低だ……」
脱力して肩を落とす。
「ああ、はは―――にが」
ミモザは大笑いすると、我慢していた苦味にようやく顔をしかめる。ギブソンは呆れ果てた表情をした。
「まったく、君は」
あまりの馬鹿馬鹿しさに笑いが込みあげてきたのか、ギブソンはふきだした。肩を揺らして笑う。ミモザはぺこりと頭を下げた。
「失礼しました」
「何て可笑しな人なのだろう、つくづく……でも、嫌いじゃないよ。そういう話は」
「へえ?」
まだ味が残っているらしく、手を口元にやって舌を動かしていたギブソンは、ミモザと視線があうと、目を伏せた。
「機械の体をもつ者たちが己の意思で、花に生まれ変わった、か。
遠く故郷を離れて異世界にたどりついた人々が、どういう理由でこの大地に根をつけて、花を咲かせたのか。それを考えると、悲しくもあり、美しくもある」
「ロマンチストねえ」
頭を下げてのぞきこむように顔を見ると、ギブソンはつい、と視線をそらした。ミモザはにこりと笑う。
「でも貴方のそういうところ、好きよ。結構」
「……どうも」
素っ気ないのは照れているからだろうか。
ミモザは手にもった花で自分の頬をぺしぺしと叩いていたが、手首をひねり、気取った仕草でギブソンの膝のうえに置いた。
「あげよう。可愛い人よ」
「……」
ギブソンはちらりとミモザを見ると、ため息をついて、膝の上の黄色い花をもちあげた。香りをかぐふりをして、苦笑する。
「ありがとう。でも花もいいけど、私は新版の霊界獣小事典が欲しいな」
あら、とミモザは言う。
「まだ賭けは終わってないじゃない。貴方のいう場所になかったら、勝負はドローよ」
ふたりは顔を見合わせると、小さく肩をすぼめた。そう、試合はまだまだこれからなのだ。
*
「どうした。もう少し、見ていくかい」
立ちどまったままのミモザに、声がかけられた。
ミモザは風になびく髪を手で押さえながら、いつの間にか隣に立っていた男を見上げる。
「あ、ごめんね。帰ろうっか」
「何考えてた、ミモザ」
「うん……ちょっと、ね」
言いよどみ、ふたたびミモザは前に向き直った。
広がるのは、もう見慣れてしまった一面の黄色である。
ミモザはしばらくその光景を眺め、やがてぽつりと言った。
「―――あの子も、さ。もしかしたらさっきの話みたいに、樹になったのかもしれないと思ってね」
そう言って物憂げな笑みを浮かべた横顔から視線をはなし、ギブソンは遠くを見やるような目をした。
「……アメル」
彼がつぶやいたのは、ミモザたちがよく知るひとりの少女の名前だった。
そしてそれは、二年前特別な意味をもってしまった名だ。
「メルギトスに取り込まれた遺跡と一緒に、あの子は消えた。そしてその後に一本の大きな樹が残されていた……。
私たち派閥は、きっとメルギトス消滅の衝撃でどこかから―――たぶんサプレスから、あの樹が召喚されたんだろうと考えたけど」
言葉をきり、少しだけギブソンの方に顔を向けた。
「もしかしたら、トリスの言うとおり、あれはアメルが生まれ変わった姿なのかもしれないね。それこそ、世界の観察者であるエルゴの大いなる力を借りて」
「ああ。……それか、根性で」
「うん」
相棒の言葉に、ミモザは嬉しそうに頷く。その答えはミモザにとって、とても心地よいものだった。
それが正解かどうかは分からない。この花畑が、遺跡の生まれ変わりだといういうほどの可能性かもしれない。
真実を知るものは、人の中にはいないのだ。
しかしそれでも、ひとつの答えを、ひたむきに探し続けている者たちならばいる。
彼女たちも、疲れ、嘆きながらもその探求に幾ばくかの幸せを見出せているのだろうか。そうであって欲しいと、ミモザは願った。
「自分の意思で、か」
目を細めて、つぶやく。
「じゃあきっと、戻ってくるね」
少女が我が身を燃やすほどに守りたいと願った人々が、あれほどまで帰りを待ち望んでいるならば。
「……そうだな」
「うん」
ミモザは頷くと、しんみりした空気をふりきるように、大きく伸びをした。
「さーて、おしゃべりはこの辺にして。我らが家へ帰ることとしましょうか」
腕をおろし、未練を断ち切るようにくるりと花畑に背を向ける。
「撤収!」
気合いっぱいに宣言し、軽い足取りで進んでいくミモザに、ギブソンはやれやれと苦笑した。そして自分の名を大声で呼ぶ彼女のあとを、嬉しそうに追っていく。
騒々しい訪問者の後姿を見送りながら、花たちはほっと安心したように、そしてすこしだけ寂しそうに、風のなかでさわさわと揺れた。これでまたしばらくは、平穏で退屈な日々が訪れるのだろう。
彼女たちの探し求めた「真実」が陽のもとに姿をあらわすのは、それから間もなくのことである。