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    The World 天の円盤は音もなくまわる。
     枝葉のシルエットに縁取られた窓の中の絵は、薄い青から濃い青の風景へと切り替わり、丸い日が弧を描きながら落ちていった。東からは、半透明の円が無数の白い点とともにあらわれる。
     黒い鳥が濁った鳴き声を響かせながら横切った頃には、残り火のようにくすぶっていた赤い火も舞台の外に完全に消え、暗く沈み込んだ空の頂上に実体を取りもどした月がのぼった。
     夜が、訪れた。

     息をひそめて、一部始終を見守っていた男が、茂みの中からようやく立ち上がった。背中を長い銀髪が滑り落ちていく。
     男は脇に立つ一本の木に手をつくと、口をひらいた。濃くなっていく夜の空気を舌のうえで転がしながら、白い指で木の肌を撫ぜる。手が通り過ぎた部分はふやけたように色が変じ、へこんだ。

     月の光がさしこむ青い森は、澄んだ海の底のようだった。
     男は、まとわりつく夜気をかき分けて歩く。銀の髪が、時折うろこのようにぎらりと光った。
     彼に灯りは必要ない。
     新月の日、曇り空の夜でも、木々の間を流れるようにすすむことができる。ましてや、今日は月が完全な姿でのぼっているのだ。
     白い花を踏んだ。立ち並ぶ木のいっぽんの幹を、這い登る蜥蜴。暗闇に密生する草の表面にびっしりとついた夜露。
     湿った土の匂いが鼻をつく。どこかに川があるのかもしれない。飛沫をあげて流れるせせらぎが、男の耳に小さく聞こえていた。

     ……この世界の闇は騒がしい。
     様々な雑音が、絶えず行き交っている。生き物の呼気、草花の吸気。虫の羽音。それを吹き散らす風の音。天の円盤とて軋みをあげる。それを見つめる大地も、ひそやかに鼓動を鳴らしているのだ。
     人の耳が夜を静かととらえるのは、これらの音が互いで互いを打ち消しあっているからだ。無秩序であるように見えて、音は常に同じ質量で双方向に、同時に発生している。そのことわりを人は知らない。この闇の中には、緊張に震える糸が無限に張りめぐらされているのだ。
     その糸を断ち切ることは、たやすい。
     男の鼻先に、獣の匂いが漂う。男は顔をめぐらせて、木々の奥を見やった。手を持ち上げ、宙をかいて振り下ろす。
     直後断末魔がひびき、森にざわめきが広がった。風は音を隠し切れず戸惑い、木々は葉を擦りあわせて揺れた。
     いまこの森を歩いている人間がいたならば、悲鳴を合図にして今まで気にならなかった音が急に浮上してきたようにとらえただろう。そしてまた静かになった、と。
     切れた糸が一本一本修復されていくのを感じとりながら、男は鼻を鳴らした。
     そして辺りが完全に元のように戻ると、あごを持ち上げ、顔を仰向かせた。視線の先には黄味がかった円が光っていたが、男の目はそれを見てはいなかった。

     ―――この世界には秩序だった喧騒が満ちている。時にそれが……厭わしい。

     だがこんな世界にも、完全なゼロの静寂が訪れる瞬間がある。
     人や獣は気づかない。ほんの、ほんの一瞬だ。
     普段は距離をもってまわりをとりまくように巡っている4つの世界のうちのひとつが、夜のある時間この世界にもっとも接近し、接触する。そのとき時間は止まり、音が消える。完全な静寂に満たされる。
     一瞬だけ交わる世界―――それは男の故郷だった。
     男は目をつむる。
     月の光を浴びた目蓋が透けて、彼の前には或る懐かしい映像が広がった。

     どこまでも青い世界。
    青い色、それ以外存在しない。
     くらげのように漂う住人たちは透明だ。
     肉体がない。吐息もなければ鼓動もない。大地を踏みしめる重さもなかった。
     彼らは遥か昔にどこからかやってきて、またどこかへと去っていく。純粋な光や闇のなかを、静かに泳ぎながら。
     男もかつてはそんな存在だった。
     真っ暗な奈落の底で浮遊しながら上を見ると、そこにはほのかな明るさを秘めた深い青色が、どこまでも広がっていたものだ―――。

     男は恍惚の表情を吹き消した。仰向かせていた顔をゆっくりと戻す。羽に見立てて広げていた両腕をたたみ、とらえていた追憶の魚を逃がした。
     男はしばしその場にじっと立ち尽くしていたが、ふたたび空を見上げた。幾万の星のまたたきが、彼を見下ろしている。

     ……故郷とは、あまりに違う景色。
     だが、男はこの世界に下りたことを悔いてはいなかった。この雑然とした世界のことを、男は愛していた。この地を踏みしめて生き、数えきれない呼吸を繰り返しながら、いつかは支配しつくして燃やしてしまいたいと、願うほどに。

     月の色が変わる。黄色がかった円が真白になったかと思うと、中心部から青味が広がっていく。
     空を見上げていた2つの銀の眼が、わずかに見張られた。足元の草を揺らしていく風に何かの予感をいだいたのか、男の体には緊張がみなぎる。

     ―――これがリィンバウム。私が愛するもの。……あの女が愛したもの。
     いつかこの手に入れ、壊すだろう、

    「世界だ」


     鳥が鳴いた。
     森が凍り、青く染まっていく。空気に幾つもの水泡が沸き上がる。
     張り詰めていた糸がたわんで、消えた。


     時が止まった。
    yoshi1104 Link Message Mute
    2018/09/29 3:44:38

    The World

    (レイム)

    ##サモンナイト

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