MD「目覚めよ」
光が生まれた。
ヴォン、という音とともに光は視界全体に広がっていき、その中で周囲の輪郭が形づくられていく。
見慣れた場所だった。自分が長い間安置されていた遺跡の中である。
機能停止する以前の記憶によれば崩落して完全に閉ざされたはずだったが、目の前には大きな穴が開いていた。見る限り人の手により掘削が行われたようだった。
「言葉がわかるか。機械兵士よ」
穴の前に、ひとりの人間が立っていた。黒い鎧とマントをまとい、腰には剣を差している男が、漏れでる光を背に自分を見下ろしている。
機体の内部から響いていた起動音がおさまるのを待って、自分は男の問いに「アア」と答えた。
光の向こう側は騒がしい。どうやら多くの人間が、遺跡に乗り込んでいるようだ。
何人かの兵士が後ろから制止するのを払いのけ、男はまた一歩自分の方に歩み寄った。
「名は何という」
男は言った。
遠い昔にきざまれた記録を検索し、答えに辿りついた。ぜるふぃるど。
告げると男はそうか、と頷いた。
今まで気がつかなかったが、彼は自分との会話に高揚しているようだった。よく見るとまだ若い青年である。かつて人と接する機会などは殆どなかったので正しく判断できないが、おそらく20は越してはいまい。
青年は張りのある、自信に満ちた声で言った。
「俺の名はルヴァイド」
―――ルヴァイド。
電子音とともに、その名は登録される。頭脳におさめられたディスクの中、あるいは胸の中に。
「立て。そして俺に仕えよ。機械兵士―――ゼルフィルド」
ざあ、とノイズがはしり、その先は真暗になった。
*
扉がひらき、現れた男の顔は疲れていた。
彼は自分の姿を認めるや、すぐに表情をひきしめて常のように毅然と背を伸ばした。
「……ゼルフィルド。待っていたのか」
声紋認証。我が主。
相手の呼びかけに無言で一歩ひいて道を開け、ゼルフィルドは男が歩みだすのを待ってから後ろに続いた。甲冑のたてる金属の音が、暗い廊下に響く。
「元老院ハ、何ト」
「黒の旅団」による聖王国の都市ファナンの攻略が失敗して、早十数日が経っていた。男とゼルフィルドは、その報告と今後の方針を上層に仰ぐため、本国であるデグレアに戻っている最中なのだった。
将は最善を尽くしたとゼルフィルドは思う。だがそんな過程は敗北という結果の前には何の意味もないのだろう。少なくとも、元老院の老人たちにとっては。
おそらく誇りの一滴までを搾り取られるような叱責を受けただろう男は、しかし愚痴や不満をおくびにも出そうとはしなかった。
「―――ファナン侵攻の命が再度下された。金の派閥の議長を捕らえ、街の戦力と戦意を削げとのことだ」
黒いマントで覆われた背中から、淡々とした声が聞こえた。ゼルフィルドはふたたび問い返す。
「人質ヲトレ、トイウコトデスカ」
男はしばし呼吸を止めたように黙り、
「……そうだ」
このような時、男の心は決して声のようには平然としていないのだと、長い付き合いの中でゼルフィルドは知っていた。耐え難い何かを、殊更押し殺しているのだろう。
……もうどれ程の間、この背中を見ているだろう。
答えはすぐさま分単位、秒単位で算出されたが、それが果たして長いと言えるものかどうかはゼルフィルドには分からない。
だが少なくとも、まだ細かった体がひとまわり大きくなるだけの時間ではあった。
出会った頃には少年の名残が残っていた顔も、段々と引き締まっていったように思う。
一つひとつ年を重ねるごとに男は自分の目の前で成長し、同時に頬に落ちる憔悴の暗い影を濃くしていった。強い炎が早く燃え尽きてしまうように、加速度的に消耗していく。ゼルフィルドは見ているだけしかできなかった。
「疲レタカ、我ガ将ヨ」
先を行く男の肩がぴくりと動いた。肩越しに、ゼルフィルドの方へわずかに視線をずらす。
「…………そう、見えるか」
「再出立マデハ時間ガアリマス。ドウゾ、休息ヲ」
言うと、男は前に向き直って深いため息をついた。
「無様だな」
小さく呟かれた言葉には答えず、無言で一歩後ろについていった。
硬質な足音は、ゼルフィルドと男のそれしか廊下に響いてはいない。元老院の集う議場の近くはいつ来ても人気がなく、不気味な静寂に包まれている。
時折窓から差しこんでくる光は薄く、男の赤い髪にわずかな白色を落としていた。デグレアの太陽は弱いのだ。
つい数日前までいた地の陽光ならば、もっと彼を鮮やかな色に染め上げていただろう。
「ゼルフィルド」
ふいに呼びかけられた。
「ハイ」
「お前はこの度の旅団の作戦、どう思う」
問いによって浮かび上がる映像は、あの小さな村で過ごした晩のものである。
渦巻く煙を吐く炎の舌が、黒い空を喰らい尽くした。その光景を眺める男の表情は、兜をかぶっていたため分からなかった。
ただ自分の名を呼ぶ声が、やはり何かを押し殺したように硬質であったように記憶している。
「ソノ問イハ、戦略面ニツイテデスカ。ソレトモ貴方ノ在リ様ニツイテデスカ」
「……」
「後者デアレバ、私ノ意見ハ貴方ノ役ニハ立タナイ」
男が口を開く気配をしたが、結局言葉は出さずに再び閉じた。
しばし戸惑ってから彼は、おそらく先程言おうとしていたものとは異なるだろう言葉を押し出した。
「お前は、何をもって俺に仕える」
「ソレガ貴方ノ命デアリ、契約デス」
答えると、男は、
「ああ、そうだな。それが契約だったな」
自嘲を滲ませて吐き捨てる。
そんな男に対してゼルフィルドは、黙ったまま何も言わなかった。
―――嘘はついていない。
これは権利と義務の行き交う契約だ。
出会ったあの日、彼は自分の胸の中に声を落とした。消去しがたい記録を残した。
(ゼルフィルド)
名を呼んだ。
自分が彼の側にいるのはその代償なのだ。
自分には権利があり、そして彼には受け入れる責任がある。
「私ハ貴方ニ従ウ。名ヲオ呼ビクダサレバ、イツデモオ側ニ」
貴方がたとえ嫌だと言っても、側に。
劣化することのない音声が、繰りかえされる限り。
「ゼルフィルド」
男は足を止めて振り返り、ようやく苦しげな表情でゼルフィルドを見つめた。
「貴方ノ声ガ私ノ唯一デス―――我ガ将ヨ」