パステルエナメル 光を反射した眼鏡の奥で、細かく動いていた瞳をぴたりと止めると、アルディラはため息をついて掲げていたペンライトを下ろした。
何かを考えるようにもう片方の手の先でくるくる回していた工具も、脇のデスクにかちゃりと置く。
―――異常なし。心でそう呟いて、背もたれの大きな椅子に深く沈みこんだ。
アルディラのすぐ目の前には、細い背中があった。
服を脱いだ裸の上半身。
わずかに前かがみになり、腰から首筋にかけてゆるやかなカーブを描いている体は、肉づきの薄い未成熟な少女のそれである。明るすぎる部屋の照明にさらされて、いかにも寒々しい。
だが、左の肩甲骨と背骨の間にぽっかりと空いている真四角の穴と、そこからのぞく幾本ものコードの束が、彼女が人間の少女ではないことを見る者に教えていた。
「お聞きしてもよろしいですか、アルディラさま」
うなじの向こう側と、背中にあいた穴の両方から声が響く。
アルディラはペンライトを片手に、蓋を閉める前にもう一度のぞきこんでいた穴から顔をあげた。
「何かしら」
問いかけると少女は、一拍おいて、涼やかな声を再び背中に響かせた。
「何故、私は人に似せて作られたのでしょうか」
アルディラは、わずかに目を見開いた。
「深い意味など、なかったのでしょうか」
聞こえてくる声はいつも通り、淡々としている。だがその問いの内容は、アルディラを驚かせた。
長い間側に置いてきたが、このような漠然としたことを彼女が口にしたことはなかった筈だ。この機械仕掛けの少女はいつだって、ある意味模範的な「人形」として振舞ってきたのだ。
―――やはり、彼女の「心」には変化が生じているのだろうか。……島の外からやってきた彼らとの接触によって、急速に。
無意識のうちに、手に持ったペンライトでコードの向こう側を照らしていることに気づいて苦笑する。そして直後に、軽い自己嫌悪に陥った。
「そうね……」
後ろめたさを喉の奥に流し込むように、デスクに置いてあった冷めた紅茶に口をつける。ふう、とため息をつくと、視線を宙に向けてしばし考えた。
天井近くに備えつけられた、緑の光をはなつスクリーンを見つめながら、口をひらく。
「その方が、都合が良かったから―――でしょうね。それか、」
言葉を切り、顔を上向かせたまま瞳だけを動かして少女の頭を見る。
「自分によく似た存在を作り出すことで、技術者としての欲を満たそうとしたのかもしれない」
妥当な答え。だが、優しくない。
アルディラは、相手からどのような反応がかえってくるか、注意深く観察しようとした。
「そう、ですか」
だが、背中から聞こえてきた声はやはり淡々としていて、そこから何かを感じとることはできなかった。
「……」
会話が途切れる。静かになった部屋に、照明器具のたてる音が低く響く。
もう、彼女を前にしてすべき点検は終わっている。だがそう宣言して、このまま立ち上がる気にもならなかった。
アルディラは何となしに手を持ち上げて、目の前の背中に触れてみた。
少女の肩が微かに揺れたが、振り向くでも何を言うでもない。主人の好きに任せるらしい。
そのまま、あてた指を滑らせる。
彼女の肌は鉄のように硬くはなかったが、なめらかすぎた。
曲線をなぞる人差し指の甲に弾力を感じつつも、金属を触っているという印象がつきまとう。温度も、ひんやりとして冷たい。
だが目に映る少女の肌は、体温を感じさせる色をしていた。白ではない。ごく薄いクリーム色。血液の流れを思わせる、温かみのある色合いだ。
アルディラは心の中であらためて、彼女を作った技術者の仕事を称えた。
より本物と似るように。より、人に近づくように。
そのような、作品に完ぺきを求める熱意が彼女の肌色から伝わってくる。
(技術者としての矜持、そして欲、か。……そう、私のさっきの答えは間違ってはいない)
「……」
色のない顔で、少女の背中を見つめる。
背を滑っていた指が、カーブの終点に行き着く。
アルディラは目の前の腰に置いたまま行き場に迷っていたその指を、体の脇にぶら下がっている少女の手へと移した。
温めるように上から包みこむ。すると力を抜いていた手が、わずかに緊張するのを感じた。
手のひらの真ん中に親指をあてれば、反応してぴくりと軽く握りかえしてくる。
そのまま少しくすぐってやると、4本の指が抗議するように、アルディラの悪戯を押さえた。思わず笑みがこぼれる。
その直後、鋭い痛みが胸にはしり、アルディラは顔をしかめた。
(何故、人に似せて作られたのでしょうか)
少女の無表情な声が蘇ってくる。変わりはじめた彼女の、はじめての問いが。
それ対する答えは。
―――都合が良いからでしょうね。
―――それか、技術者としての欲。
―――好奇心。挑戦。戯れ。……。
ひやりとした、無機質なものばかり。
事実、私たちは冷たい。いま握っているこの手よりも冷たい。彼女たちを興味のままに試し、観察する。作り出した理由だってきっと自分たちのため、勝手なものだったろう。決して間違った答えではないはずだ。
だが本当に……それだけだったろうか。
つないだ手に力をこめる。
それに応えて、少女の小さな手が握りかえしてきた。
互いの存在を確かめあって手をつなぐその様は、母娘のようだとふいに思った。
どちらが母でどちらが娘なのかは、わからない。主人であり縋られる立場のはずの自分の方が、いまは幼い子供のように彼女に縋っているようにも思えた。
(母親だなんて……もう遠い、かすんだ記憶のなかにしかいないのに)
自分の手のなかで少しずつ温かくなっていく彼女を感じながら、アルディラは目をつむった。
技術者たちは―――私たちは、この握りかえしてくる手の強さを、ずっと期待していたのではなかったか。
この肌に、命を思わせる色を塗って、願いを。悲しいほどに熱い願いを、こめてはいなかったのだろうか。
「―――孤独を」
まぶたを開けて、アルディラは呟いた。自分の親指を握る指の、桜色の爪が目に入る。
「分かち合うため、か」
「アルディラさま?」
「もうひとつの答えよ。きっと」
「……」
黙ってしまった背中に向かって、アルディラは笑う。
「勝手ね、私たちって」
「そうですね」
変わらない声でそう言った少女のまとう空気が、ほのかに動いた気がした。
「……でもそれも。嫌いでは、ないかもしれません」
アルディラは背中の蓋を閉める。
そして少女の手を握ったまま、額を冷たい肌の上に乗せた。