のどあめ「ほら。あー、ってしな」
上からふってきた少年の声に、素直にあー、と口をあけると、舌のうえに何か放りこまれた。
はっかの味。
シャムロックは口を閉じると、顔をしかめた。
「どうだ」
「すーすーします」
「ふうん。この飴のどに良いっていうけど、良いか?」
フォルテが顔をのぞきこんでくる。好奇心でいっぱいの、金色の目だ。
シャムロックはのろのろと舌のうえで飴をころがした。丸い飴は歯にあたって、かちゃりと音をたてた。
鼻から冷たい息が抜けていく感覚に、シャムロックは情けない表情をした。
「だめか?」
「のどはあんまり痛くなかったから……」
「あ、そうなのか。ま、色々ためしたほうがいいぜ」
ためすってなんなんだろうか……。
ベッドの隣の椅子に腰かけなおしたフォルテを横目で見ながら、シャムロックは複雑そうな顔をした。
視線を天井に持ちあげる。白い色の見慣れたそれは、目が潤んでいるせいか少しぼやけて見えた。
38度2分。
平熱よりも、2度近くも高い体温だ。
昨夜から上がりはじめたらしいその熱は、今になってピークをむかえ、指の先までじんじんと脈うちながら、滅多に風邪をひかないシャムロックの体を茹だらせていた。
だるい体で、身じろぎする。首のうしろにあたる枕が柔らかい。
結局もとの位置に頭を落ちつかせて目をしばたたかせていると、横から手が伸びてきた。額に置いていた濡れタオルがずれたらしい。フォルテはタオルを額にのせなおすと、そのうえに手の甲を置いた。
「すこしぬるいかなあ。取り替えるか?」
「え、いえ。まだ、結構です」
「そか。なんか飲む?」
「……いいえ」
ふうん、と言ってフォルテはまたシャムロックの顔を眺める。かまいたくて仕方ないという様子だ。
いや、それともかまってほしいのだろうか。
動けない友人を前にして本人は一応大人しくしているつもりらしいが、行儀よく座っている椅子の後ろには、揺れているしっぽが見えるようだった。
「ん? いま、笑ったろ」
「なんでもないです」
口をすこしあけて、指を唇のまえにおいた。息を吐く。
今しがたなめおわった飴のせいで、のどをとおる時には冷たく感じたが、吐いた息は指にあたると随分と熱かった。
手自体にも熱があるので、たぶん実際の吐息の温度は感じたよりももっと高いのだろう。目の前で広げてみた手のひらは、真っ赤だった。
「熱、あるなあ……」
「手ぇ出すなっつーの」
しみじみつぶやくとすぐさま指を握られ、ベッドの中に押しこまれた。なかの空間は湿った熱がこもっていて気持ち悪い。思わず身じろぎすると、フォルテが毛布の両端を押さえつけ、のしかかってきた。
「こーらー。熱でたときは汗かかなきゃダメなんだろ? じっとしてろよ」
「苦しい、です」
「ガマンガマン」
「ほんと、くるし……は、吐く―――」
「ナニ、吐く!?」
弱音をこぼすと、がばりと起きあがってフォルテは騒ぎだした。
「わー、ちょっと待て! いまお前のかーさん呼んでくるからそれまで耐えろ!」
そのまま扉をばたりと開けて部屋を駆けだしていく。
フォルテさまがどいてくれたらそれでいいんです。
というシャムロックの言葉はとうてい彼に追いつけず、洗面器を片手に戻ってきたフォルテと母親に、大丈夫だと何度も主張せねばならなくなった。
―――なんで、こんなひどい思いをしなければならないんだろうか?
「そりゃ、お前が昨夜、雨のなかでアホみたいに躍ったりするからだろ」
シャムロックの額を洗面器でこつんとこづきながら、呆れたようにフォルテは言った。
「躍ってません……」
突っ込みも弱々しい。
正確には剣の素振りだ。しかも、雨のなかに飛びだしたのではなくて、素振りをしている最中に雨のほうが降ってきたのだ。
まあ、それでもしばらくのあいだ頑なに練習をやめようとはしなかったのだから、強く反論することはできない。
今朝起きると体のふしぶしが痛くて、肌の表面がやけにざわざわとしていた。
体も重かったが、まあそういう日もあるのだろうと妙な納得をして剣術道場に向かい、さんざん汗を流した挙句、昼休みに見事にぶっ倒れてしまったのだった。
そして強制的に家に帰され、今に至るというわけである。
何故か一緒に早退してきたフォルテは最初、真っ赤な自分の横で真っ青になってうろたえていた。
が、母親と医者のやりとりを聞きながら大した症状でないことを知ると、何故かはしゃぎだした。
感染したらいけない、と眉をひそめる母親がとめるのをつっぱねて、看病役をかってでたのである。
「俺ってば、考えてみたら人の看病すんのはじめてだなー。どうよ俺の完全看護」
フォルテがにこにことして言った。どうもはしゃいでいる理由はそれらしい。
「うーん……どうでしょう」
「なんだよ。甲斐甲斐しいじゃねえか」
弱々しく笑って礼をいうと、フォルテは口をとがらせた。そしてすねたような顔をしてシャムロックを見つめていたが、ふいに笑みをこぼした。
「……お前、バカだよなあ」
横を見ると、優しげな目があった。
「悔しかったんだろ? ハゲタカの奴に馬鹿にされてさ。それで雨のなかで無茶なんかしやがって。―――水、飲むか?」
シャムロックはいいえ、と言ってそれを断りながら、顔を天井に向けて、一昨日のことをぼんやりと頭に思い浮かべた。
ハゲタカ、とは道場の3つ上の先輩のことである。
目つきが鋭く、体は縦に細長いその先輩は、剣の腕はたったが人柄は傲慢な男だった。何かにつけて後輩たちをしごき、嫌味を言った。
練習に疲れて「くたばった」後輩をねちねちいじめる彼のことをフォルテは嫌い、「ハゲタカ」というあだ名を献上した。
それをはじめて聞いたとき、シャムロックは苦笑しながらも、ぴったりな名前だと内心頷いてしまった。
ちっぽけで、剣の腕がイマイチなシャムロックも、よく彼の餌食になっていたのだ。
一昨日の昼の練習でも、ハゲタカはシャムロックを馬鹿にした。
剣を振っているシャムロックを指さしながら、気に入りの下級生の肩に手をおいて聞こえよがしにこう言ったのだ。勝ちたい気分のときは、あいつと手合わせしたらいい、と。
あまりのくやしさに、シャムロックの顔には血がのぼった。
「あの、ハゲタカ……なんて嫌な野郎だ!」
家に帰ってフォルテに言うと、彼は真っ赤になって頭から湯気をとばした。
「許せねえ、人をなんだと思ってやがる。一発殴ってやりたいぜ。―――で、どうだった」
「へ?」
「へ、じゃねえ。その下級生とお前、手合わせしたんだろ。もちろん、叩きのめしてやったよな?」
シャムロックは小さくなってうつむいた。
「……負けましたっ!」
わあ、と突っ伏すシャムロックに、フォルテは腕組みしながらぷんぷんと怒った。
「情けない奴!」
そして次の日、道場ちかくの空き地には、夜遅くまで剣をふる少年の姿があった。
―――もしかしたら、とシャムロックは思う。
先輩に馬鹿にされたことより、年下に負けたことより、フォルテに情けない奴だと思われたままでいることの方が、自分は悔しかったのかもしれない。
シャムロックは、天井を眺めながらうとうとしはじめた。まぶたが重くなってくる。
熱はあがってるんだろうか、さがってるんだろうか。なんとなく、よくなっているような気もした。
ふと気づくと、前髪をくりかえし撫でる手の感触があった。遠くのほうから、声が聞こえる。
「はやく、治れよな。俺、お前が寝てるとつまんねえ」
閉じかかった目を、ぱちりとあけたが、すぐにまた落ちていった。頷いたつもりだが、果たして顔は動いたかどうか。
「俺、うるさいか。静かにしてるから、すこし眠れよ。ずっと側にいてやるから、何かあったら、言えよ」
頭をなでる手が心地よい。眠れといわれるまでもなく、もう、意識の糸は途切れかかっていた。
夢の入り口のもやのなかに、遠くから声がひびく。
―――だいじょうぶ、お前はきっとつよくなるよ。おれが保障してやる。いつかだれより強い騎士になれるさ―――シャムロック―――おやすみ……―――。
……。
*
彼は実は、自分でのどあめをなめたことはないという。
完治の翌日。医者や母がばたばたとしている中、シャムロックは申し訳なさそうに小さくなりながら、真っ赤な顔をして唸っている彼のベッドの横に座っていた。
熱があがった上にのども痛いという彼を心から心配しつつも、早くふたりきりになって、彼の口に飴をひとつぶ放りこむことを、シャムロックは密かに楽しみにしていた。