海神と迷子 17※ご注意※
・オリキャラ扱いのギリシャ神様
・キャラ崩壊
それでも大丈夫という方は、次ページへどうぞ
竈の前でヘスティアと見られる黒い短髪の女神は、シンプルな白のドレスの上にエプロンをしたまま、椅子に座ってこっくりこっくり舟を漕いでいた。ニンフが声を掛けると、彼女ははっと気が付いてヘラクレスと千栄理の姿を見ると、ゆっくりと立ち上がった。
「あら、私ったらまた寝惚けていたのね。ごめんなさい。えーっと……あなたは……」
「ヘラクレスです。新しい配達員の件で付き添いを」
「あら、今日だったかしら? ……そうね。ここのところ、人手が足りなくなってしまって困っていたところなの。それで、そちらの方がポセちゃんのところの?」
「ポセちゃん」という呼称に色々な意味で衝撃を受けながらも、千栄理が簡単に名乗ると、ヘスティアはのんびりと「よろしくね」と返す。穏やかな笑顔に、神話通りの女神だと千栄理の緊張が少し緩む。ふと、ヘスティアは千栄理の足元を見て、声を上げた。
「あらっ、千栄理ちゃん。普通の靴を履いて来ちゃったの? だめよぉ、配達は大変なお仕事なんだから! 配達に行く前にゼウスちゃんのところへ行きなさい。ヘルメスちゃんの靴を貸してあげるように、私言っておくから!」
「えっ!? だ、大丈夫ですよ! ヘスティア様」
「いいえ、だめ。特にあなたは女の子でしょう? 足をケガしたり、痛めたりしたら大変だもの。全く……ポセちゃんはこういうところ、気が回らなくて困っちゃうわね」
ぷりぷり怒りながらヘスティアはポケットからスマホを取り出し、誰かに電話を掛ける。なかなか出ない相手だったが、ヘスティアは辛抱強く待ち、相手が電話に出ると、腰に手を当てて怒った。
「あ、ゼウスちゃん? おはよう。あのね、千栄理ちゃんのことなんだけど……そう! 千栄理ちゃんの靴についてなんだけどね。だめじゃない。ヘルメスちゃんの靴じゃないと……忘れてた!? 全く! ゼウスちゃんもポセちゃんもめっ! よ。今から千栄理ちゃんに取りに行ってもらうから、玄関で待ってること! いいわねっ!? えーじゃないのっ! おじいちゃんなんだから、早起きは得意でしょ! じゃあね」
電話を終える頃には千栄理は戦慄し、ヘラクレスは頬に冷や汗をかいていた。あの全知全能の神に向かって「めっ!」なんて、怒れるのは彼女がゼウスの姉だからだろう。スマホを元に戻したヘスティアは申し訳なさそうに眉を寄せて千栄理に謝る。
「ごめんなさいね。本当なら、私が取りに行ければ良いのだけれど、火の番をしなければいけないから、ここを空ける訳にはいかないの。あまり動かないようにってゼウスちゃんとも約束してるから……」
「い、いえ! 大丈夫です! ヘラクレスさんとご一緒するので、取りに行きます!」
「出かける前に、二人共朝ご飯を食べて行った方が良いわ。まだ食べてないでしょう? 配達に行ってもらう代わりに、焼きたてパンをご馳走するわ」
「そんな、悪いですよ。靴のこともそうですし……」
「気にしなくていいのよ。ここの仕来りみたいなもので、配達員さん達に必ず振る舞うことにしているの。美味しいものを食べて頑張って頂戴」
どこまでも優しいヘスティアに、千栄理は恐縮しつつも、お言葉に甘えることにした。ここで断ってしまったら、逆に失礼なような気がしたのだ。
「ちょっと待っててね」と言って、ヘスティアは重そうな竈の扉を開け、中腰になって中を見てから、目当てのパンをトングで取り出そうとする。ヘラクレスと千栄理は思わず立ち上がって彼女を手伝おうとしたが、「大丈夫よ」とやんわり断られてしまった。近くに積んである丸椅子を用意するように言われて、ヘラクレスが動いた。厨房の隅に置いてある木製テーブルにヘラクレスが椅子を置き、火のニンフが木で出来たスプーンとナイフ、フォークを並べていく。皿に乗せたパンをヘスティアがテーブルに並べ、別のニンフがサラダが入った小鉢をオリーブオイルの瓶と共に人数分置く。千栄理はその間にヘスティアに言われて、食器棚から木の器を人数分出してヘスティアに渡し、ヘスティアがその中にヨーグルトをよそう。ヨーグルトに蜂蜜を掛ければ、朝食の準備は終わり、「では、食べましょうか」とヘスティアの合図で皆席に就いた。
焼きたてパンの良い香りが漂う中、千栄理は不思議そうに木のナイフとフォークを見つめていた。一見して金属が使われているような部分は無く、これで本当に切れるのだろうかと思いながら、サラダにフォークを入れると、トマトに容易く突き刺さった。それも押し潰したような感触ではなく、殆ど抵抗を感じることは無い。見た目より切れ味の良いフォークに千栄理は益々首を傾げた。その様子に気付いたヘスティアがどうかしたかと問う。浮かんだ疑問をそのまま口にしてみると、彼女は「良いでしょう?」と少し自慢げに笑った。
「その食器はね、ゼウスちゃんがプレゼントしてくれた物なのよ」
「ゼウス様が?」
「ええ。私の千百二十八回目の誕生日に贈ってくれたの。オリーブの木で作ってくれた神通力入りの特注品。お陰でよく切れるでしょう?」
誕生日の回数に一瞬、理解が追いつかなかった千栄理だが、そこは気にしないようにして、「素敵なプレゼントですね」と返した。神のスケールをいちいち気にしていたら良くないと、彼女は早々に理解を深めた。
「ゼウス様は随分とマメなんですね」
「ええ。特に女の子にはみんなそうね。困った弟だわ。ふふふ」
ヘラクレスの言葉に困ったように笑いながらも、どこか楽しげに返すヘスティア。そんな穏やかな時間の中、千栄理はパンの美味しさに表情を輝かせ、感動していた。丸く色の濃いパンは、千切って口に入れると、ぱりぱりとした硬い表面に対して、中はもちもちと弾力があり、仄かに甘みがある。そのままでも充分だが、ヨーグルトと蜂蜜を付けたら、もっと美味しいだろう。ポセイドンにも食べてもらいたい。いつの間にかそう考えていたことに、千栄理ははっと気が付いて、恥ずかしさから慌てて振り払うように感想を言う。
「このパン、凄く美味しいですっ」
「嬉しい。お口に合ったようで良かったわ。ヨーグルトも食べて食べて。これもうちで作ったのよ」
「ありがとうございます」
そんな雰囲気で朝食を食べ終え、片付けはニンフ達に任せると言われたヘラクレスと千栄理は、ヘスティアから配達の手順書を貰い、ゼウスの宮殿へ靴を受け取りに行くついでにパンを届けることになった。ヘスティアとは、厨房で別れることになり、出て行く前に千栄理は頭を下げる。
「ご馳走様でした。ありがとうございました。朝ご飯、とても美味しかったです」
「良かったわ。また明日も食べられるから、楽しみにしていてね。じゃあ、私はお見送りできないけれど、道中気を付けて」
「はい。今日からよろしくお願いします! 行って来ます!」
「では、オレもこれで、失礼します」
ヘラクレスと共にヘスティアの城を出る。ここからは彼の案内でゼウスの宮殿を目指すことになった。
「美味かったなぁ、千栄理」
「美味しかったですねぇ、ヘラクレスさん」
お互い満足した顔をして二人は、また歩き出す。千栄理はこれから仕事のある日は毎回あの朝食が食べられるのかと、ヘラクレスはちょっと羨ましいようだった。
「その代わり、頑張らなきゃいけませんから」
「そうだな。じゃあ、走るか!」
「脇腹痛くなっちゃいますよぉ」
「よしっ、じゃあ、オレが走ろう!」
千栄理を肩に乗せて走り出すヘラクレスに、彼女は驚きつつも、風を切る感覚に笑い声を上げた。