海神と迷子 番外編1※※ご注意※※
・捏造過多
・キャラ崩壊
以上を踏まえ、それでも大丈夫という方は、次ページへどうぞ
ここのところ、プロテウスはある意味で悩まされていた。というのは、主人であるポセイドンが彼の知らぬ間に連れて来た人間についてだ。
「プロテウスさん、次は何をしましょうか」
熱を出してからまだ日が浅いというのに、この人間の女千栄理は、何故か異様に張り切ってプロテウスの手伝いをしている。今まで手伝いなど必要としてこなかった彼にとって、彼女の存在は不思議なものであり、どう扱えばいいのか分からず、困惑しきりだった。主人と契った人間ということで、怪我をさせたりしては自分の首が危ない。できれば断りたいところだが、彼は断り切れずにいた。この女、手際が良く、仕事が丁寧なのである。何か一つ仕事を与えると、すぐに取り掛かり、思ったよりは早く片付けてしまう。と言っても、そこはやはり人間にしてはというレベルだ。決して使えない訳ではないが、そう積極的に使っても、目を見張る程の速さではない。何より彼が困惑するのは、彼女が主人の何なのか、よく分からないということ一点に尽きる。主人に訊いても「嫁ではない。勘違いするな」と一蹴される始末。何とも微妙な立ち位置に、プロテウスはどういう立場で接すればいいのか皆目見当もつかなかった。
取り敢えず、一応失礼の無いように接してはいるが、果たして彼女はそもそも自分の立場をどう思っているのか、少し気になった。
「千栄理さんは、ポセイドン様のことをどうお思いですかな?」
「へ? 私、ですか?」
プロテウスは訊いてみる。彼女は自身をどういう立場に置いているのか、彼女自身の考えを聞いてから判断しても遅くはないと思った。千栄理は「そうですね」と言って少し考え、自分の気持ちに正直な言葉を選んでいく。
「ポセイドンさんのことは、まだあんまりよく知らなくて……。でも、私を助けてくれたり、慰めてくれたり、優しい神様だと思ってます」
「……優しい神様、ですか」
意外だった。大抵の神や他の種族はポセイドンのことを恐ろしい神、その怒りに触れれば、問答無用で殺される最恐神であると評する。その評価自体は何も間違ってはいないだろう。誰かと群れることを嫌い、孤高を貫く最も神らしい神。それがポセイドンだ。荒々しい海を体現したような神が、たかが人間一人を助け、慰めるなどプロテウスには想像すらできなかった。
この人間には、主人の心を動かす何かがあるのか。未だ確信が持てない彼は、さりげなく千栄理のことを観察してみることにした。長らくポセイドンに仕えている身としては、彼のパートナーとして相応しいか、自分の目で見極めなければならない。それには仕事を与えるだけでは不十分だと判断した。
主人に相応しい伴侶。そう考えると、プロテウスはあることを思い付いた。ポケットからある物を取り出し、千栄理に声を掛ける。
「千栄理さん」
「何ですか? プロテウスさん」
「ポセイドン様から千栄理さんへ、預かって欲しい物があると仰せつかっています」
「私に? 何でしょう?」
プロテウスに手を出すように言われ、千栄理は特に抵抗を示さず、素直に従う。彼女の掌にそっと乗せられたのは、青い宝石が縁取られた金の鍵だった。
「鍵? この鍵を預かって欲しい、ということですか?」
「ええ。いいですか、千栄理さん。こちらの鍵はポセイドン様から決して開けてはいけないと言われている部屋の鍵です。これを一日、あなたに預かって頂きたいとのことです。いいですか、くれぐれも開けてはいけませんよ」
「そんな大事な物を私なんかが預かっていいんですか?」
「……ポセイドン様が千栄理さんにどうしても預かっていて欲しいと」
一瞬、彼女の口から飛び出した正論に狼狽えそうになったプロテウスだが、ぐっと堪えて「では、よろしくお願いいたします」と言って、彼女を家事仕事から引き離した。主人に相応しい伴侶、とは、まず第一に主人の秘密を守れるような人物でなければならないと彼は考えた。これから永らく共に生きる上で、互いに秘密にしなければならないことも当然、数多くなる。その秘密を共有し、口外しないような人物でなければ、とても神の伴侶としてやっていけないだろう。それと同時に、これはきちんと約束を守れるかどうかの試験でもある。約束を守る、とは言うのは易しだが、実際に守り切るのは難しい。約束を守れる人物というのは、それだけ誠実な人間だからだ。
家事仕事は切り上げ、鍵をポケットに入れて後は好きなことをしていいと言われた千栄理だが、この城で暇を潰すとなると、少し大変なことだった。ここには本以外の暇潰しが無く、彼女は集中力が長く続く方ではないので、一日中読書という訳にはいかない。どちらかというと、体を動かす方が好きなのだが、仕方ないと彼女はポセイドンの書斎に向かった。書斎といっても、部屋は広く、どちらかというと図書室に近い。一番日の当たる窓際には革張りのソファが置いてあり、彼は時々そこで本を読みながら眠っていることがあった。前から千栄理もそのソファで寝てみたいと思っていたので、彼女もポセイドンと同じように本を一冊取ってからソファに座り、足を伸ばして深く沈み込む。ふと、ポケットに入っている鍵の感触に、そういえばと先程プロテウスに言われたことを思い出したが、そのままにしておいた。彼が大事にしている部屋なら、いつかきっと自分に見せてくれる日を待とうと、千栄理は本を開いた。
くうくうと寝息を立てる彼女を前に、ポセイドンとプロテウスは小声で会話をしていた。内容は鍵のことである。下界の海から帰って来たポセイドンが遊戯室の鍵をプロテウスに預けていたが、彼の話では何故か千栄理が持っていると聞いた。昼間にプロテウスが試験に使った鍵がそれだったのだ。千栄理はそんなことも露知らず、一切興味を示さず、ここで気持ち良さそうに眠っている。ポセイドンは半ば呆れていた。
「全く……勝手なことをするな、プロテウス」
「申し訳ございません。……しかし、私としましても、未だ少し千栄理さんに対して信用に足らないところがありまして」
「余が選んだものに不満がある、ということか?」
「いえ、申し訳ございません! 出過ぎた真似を!」
目を細めて睨み付ける主人に、プロテウスはびくりと肩を震わせて深々と頭を下げる。しかし、ポセイドンは少し考え、今度はおかしそうにふっと息を吐いて微笑んだ。予想外の反応に、プロテウスも思わず顔を上げ、主人の様子を見る。
「良い。貴様が納得するまで試せ。余の選んだものを、貴様の目で見極めよ」
「は……はっ。仰せのままに」
「プロテウス、お前が気にしていた此奴の答えを聞くとするか」
そう言うと、ポセイドンは千栄理を起こし、彼女が起きると、鍵のことを訊く。
「あ、お帰りなさい。ポセイドンさん」
「鍵はどこにある?」
「鍵ですか? それなら、ポケットに……はい、どうぞ」
素直に鍵を手渡す彼女にポセイドンは口元を緩ませ、質問した。
「千栄理、何故部屋を開けなかった?」
「え? だって、鍵を掛けておく程大事なお部屋なら、きっと誰にも見られたくないお部屋なんだと思って。それに、いつかポセイドンさんが私に見せても良いって思ってくれるかもしれませんし、だったら、それまで待っていようと思ったんです」
嘘を吐いているようには見えない。そもそも神には人間の嘘など簡単に看破できてしまう。千栄理のように素直な性質の人間ならば、たとえ相手が同じ人間だったとしても、嘘は見抜かれるだろう。だとすれば、先程の言葉はごく自然に彼女の中にあった真実ということになる。あまりにもあっさりとした彼女の答えを聞いて、プロテウスは暫し呆然とした。彼女の答えに満足そうに頷いて、ポセイドンはただ一言言う。
「此れはこういう者なのだ。プロテウス」
「はぁ……」
自分がいない間に、この人間と神の間には、自分とはまた違う繋がりのようなものを感じて、プロテウスはただ戸惑いに満ちた声を発することしかできなかった。